ロストミソロジー 十一章:真統記の中

「うっ、と」
 太は瞑っていた目を開ける。さっきまで打ち捨てられた遊園地のような所にいたのに、目を開けると、全く異なる場所であった。
 夕焼け空に本が山のように積み重なっている。周りを見渡せば、何の変哲もない木製の本棚がそこかしこに並んでいて、階段があり、二階、三階とフロアが無秩序に作られている。
 京都の古本市を太は思い出した。糺の森でやるのはそういえばこんなだった気がする。だけど、こんな出鱈目な階層構造をしていただろうか。
「青空図書館」
 そんな言葉が太の頭をよぎった。何というか、正確ではない気がするがともかくその言葉がしっくり来る場所であった。
 太は後ろを見やる。そこには、やはり魔法陣が薄緑の光を放ちながら回転している。
 SFじゃあるまいし、そう太は思った。しかしさっきのは転送装置なのだろうか。全く別の空間に飛ばされるなんて、あり得ない技術だ。
「『真統記』、ね」
 その世界に関わる者ですら、都市伝説扱いされるわけだ。まるで一般人にとっての神秘への反応がそうであるように、これは出鱈目で、存在を疑われて然るべき代物。
 太はポケットサイズの本を肩から提げていたバッグから取り出す。見慣れない文字が刻まれている表紙を開くと文字が浮かび上がってきた。これは守屋から受け取ったマジックブックだ。マジックブックとは言うが、要するにガイドブックである。こうした"図書館"で、索引や案内図、内容紹介としての役割を果たしてくれるらしい。
 太はそのマジックブックが"this"と示している場所へと歩みを進めていく。さりげなく辺りの気配を窺ってみるが、特に生き物らしき気配はしない。
 歩いては階段を登り、また歩いては階段を降りる。そして歩いては再び登る。何も起こらないので拍子抜けではあったが、何も起こらないに越したことはないだろうと、太はそのまま突き進んだ。
 やがて、山の頂上のような所まで来た。先程まで本に囲まれた空間だったのに、つくづく非常識な場所だと太は思う。
 そのまま歩き続けると、そこには石の鳥居があり、祠があった。
「遙拝所?」
 太は鳥居をくぐって祠に近づくと、そこには鏡が安置されている。
 求めている物の形が必ずしも本という形とは限らない。マジックブックはまさにこの地点を指している。ということは、この鏡がさやに関する情報を得られるアイテムなのだろうということは想像がつく。
 太はその鏡に触れ、守屋から教わったように魔力を注ぎ込んだ。

 情報が流れ込んできた。さやに関する記録。
「――っ!」
 情報が一つ一つ脳に焼け付いていくようだと、太はそう感じた。無理やり情報が流し込まれていく。新しいことを知ることはとても好きだ。だけど、これは今すぐにでも逃れたい。まるで洪水だ。情報の海に溺れてしまいそうになる。
 余計なことは考えなくていい、守屋が言っていたことを思い出した。
 否が応でもそれらはお前の頭に入ってくる。落ち着いて、羊でも数えていろ。
 それどころではない。そんな余計なことなど考えている余裕なんかない。ただ、全力で耐え切らなければ駄目になってしまう。
「ああああああっ!」
 ふと、目の前に一際輝く玉のようなものが見えた。
 太は無意識にそれに手を伸ばしていた。
「……うっ」
 太は気が付いたら、木々に囲まれた中に立っていた。
「山?」
 太は辺りを見回すと、そこが夕暮れに照らされた山道なのだと理解した。ひょっとして幻覚でも見せられているのだろうか。辺りの気配を伺うが、やはり誰の気配もない。
 だけど、ここ。
「見覚えがあるような」
 ……声が聞こえてきた。すすり泣くような声。それも子供だ。
 太は誘われるようにそちらの方へと歩いていくと、少し開けた場所に出た。
 太がその脇の方を見やる。そこにいたのは、七、八歳くらいの子供。白い、絹のような美しい髪をした少女。
「あ」
 この子は。この少女は。
「やっと泣き止んでくれた。本当に、男の子の癖に泣き虫さんね。困ったものだわ」
 女の子は言った。
「ねえ、――め」
「う、ひっく。なに、おねえちゃん」
「びっくりしないで聞いてほしいのだけど」
「うん」
「というか今更なんだけどね」
「うん」
「私、自分の名前が思い出せないんだ」
「え」
 男の子はキョトンとした顔。女の子は苦笑する。
「あー、やっぱりそういう顔するよね。でも仕方ないじゃない。思い出せないものは思い出せないんだから」
「でも、それじゃあおねえちゃんがかわいそう」
「そう? それなら、私の名前を考えてくれる?」
「えー」
「えーなに、その嫌そうな顔。このままじゃ私、ずっと名無しさんのままだよ。それでもいいの?」
「うーん、分かった」
 太はずっとそこに立ち尽くしたまま、その様子を見ていた。自分の記憶にない筈の光景だ。でも、これは。
「決めた」
「なになに、聞かせて」
「うん、じゃあ言うよ」
 その男の子は確かにそう言った。
「……素敵な名前ね。とってもいい響き」
 ああ、そうだ。
 何で今まで忘れていたんだろう。
 その名前って、僕が付けたんだっけ。
「さや」

「――っ!?」
 気が付くと、太は元いた遥拝所に戻ってきていた。
「どうだった、一」
 守屋の声に振り返る。
「守屋さん。無事だったんです、ね」
 守屋に特に目立った外傷はない、ただ、左腕が無くなっていた。
 視線に気付いたのか、守屋は苦笑する。
「ああ、安いもんだ。元々左手は義手だったし、それが腕にまで広がっただけだ。ま、魔導人形(ゴーレム)の技術があれば何とでも、だよ。そんなことより一、お前こそどうした」
「え?」
 太は首を傾げる。守屋の言っている意味が分からない。
「自覚がないのか? 何故涙なんか流しているんだ?」
 言われて、太は自分の頬に触れた。
 生暖かい感触がそこにあった。
「あれ、ほんとだ。どうしてだろう」
「情報が一気に入ってきたことへの身体反応か。まあいいや。とりあえずさやに関する情報はお前の頭の中に入ったんだ。さっさと帰るぞ」
 守屋はその言葉に怪訝な顔をしながらも、身を翻して歩き始めた。
 太は、静かにその場から立ち上がる。
「あの、守屋さん」
「なんだ?」
「ちょっとだけ、待ってもらっていいですか」
「構わんが」
 太は閉じていたマジックブックを徐ろに開いた。守屋は首を傾げながら待っていると、「あった」と太は呟き、顔を上げる。
「守屋さん。少し、寄り道してもいいでしょうか?」