異界手帖 六章:思い出

 夕日が空をオレンジ色に照らしている。橙の上空にはまるでこれから家に帰るかの如く鳥の群れが飛んでいた。
「はじめ、今日はありがとう」
 ポートランドの入り口の近くにある閑散としたバス停。太に笑いかけるたまきの髪は夕日で輝いていた。
「いいよ、僕も今日はちょうど暇してたんだし。いい羽休めになった」
「ふふ、はじめは忙しいのね」
「う~ん、忙しいのかな。どちらかというと、自分で忙しくしてるのかも」
 たまきは首を傾げる。
「どうして?」
「恥ずかしい話、休みの時間の使い方が分からないんだ。だから書き物ばっかりしてるし、たまに外に出ても、それは資料集めだったり」
 太は思わず苦笑する。
「でもね、今日はそんなことがどうでもよくなるくらいにいい一日になった。そういえば、たまきは何でポートランドに行きたかったの?」
「そうね、なんとなく、かしら。ごめんなさい、自分のことなのによく分からないの。前に誰かと一緒に来たことあったかな。胸に何か引っかかる」
「無理に思い出そうとしなくてもいいよ。そういうのはある日ポッと思い出すから」
「そうね。それに、思い出すべきことじゃないかもしれない」
「たまき?」
「ううん、何でもない。それにしても不思議な気分。他のことがどうでもよくなっちゃうくらいに、いつまでもこの時間を過ごせたらいいのに、なんて思っちゃった」
 たまきは嬉しそうな、しかしどこか寂しさを含んだような顔をした。
「はじめ、あの」
 たまきは下を向いて、もじもじし始める。
「また、誘ってもいいかしら?」
「もちろん」
「やった、ありがとう」
 たまきは太に飛びつくと、太は唐突の出来事に面食らってしまった。
「か、帰りはどうする? もう日が沈む頃だし、送っていくけど」
 その提案にたまきは首を振った。
「大丈夫よ、はじめ。私は一人で帰れる。はじめの方こそ、一人で大丈夫?」
「言ったな、お嬢様め」
 太は微笑みながら言うと、たまきはくすりと笑う。
「ではごきげんよう、はじめ。また逢う日を楽しみにしています」
 タイミングを合わせたかのようにちょうど到着いしたバスに乗り、たまきはその場を後にした。