異界手帖 七章:鷹と蛇

「はあ、二人とはぐれちゃったわね」
 望月は屋敷の中を一人歩き続ける。地図もなく、案内図も見当たらないので、現在自分が何処にいるのか見当もつかない。
「日井さんともはぐれちゃったし、どうしたもんかしら」
 それにしても、望月は思った。既に歩き続けて三十分を経過しようとしている。特にぐるぐる回っているわけでもないのに、ここは外観からは想像出来ないほど広い。
「建物だけで三キロも四キロもある屋敷なんて可笑しいけど、まあ、そういうことよね」
 空間が拡張されている。鬼道はそんなことが可能なのかとも考えたが、そういえば信太という女中がいた。あれの本性が狐なのであれば、それも可能かもしれない。化術というのものの到達点の一つに空間や時間への干渉がある。基本的に、化けるというのは自分に対して行われることだが、一人前ともなると他人を化けさせることも可能になる。とはいえ、通常は形あるものに対して行われるものである。しかし、時に神性を持つまでに至るような狐は時間や空間そのものを化かすことがあるという。時間旅行や空間旅行を可能にするわけではないが、時間の流れを緩やかにしたり空間を拡張したりする。それは、化術を行う徒にとって最高の到達点であり、また、幻想であった。
「ま、所詮はまやかしよ。すぐに化けの皮を剥いでやるわ」
 食堂のような場所に到着した。入口から見て左手の乳白色の壁にはどこかの山を描写したらしい大きな風景画が飾ってあり、その反対側にはワインやアンティーク調の食器類が棚の中に整然としまわれていた。
「ちゃんと考えるているわね。さっき通った食堂と同じとこだろうけど、微妙に配置が変わっている」
 化かすといっても基本は既存のものを複製する営みである。全く同じに複製することは違和感をなくすために重要なポイントであろうが、こと建物の増築に関してはかえって"同一の複製"は不自然に映る。だから、あえて差異を出すようにしているのだろう、望月はそう考えながら中央に配置されているテーブルに触れる。
「私なら他の建物をくっつけて、いえ、下手に別の建物をくっつけたりすると違和感が出るか」
 望月は徐に回転式拳銃を構え窓を目がけて撃った。ガラスは割れず、ただ銃声のみが響く。
 望月は顔をしかめた。
「馬鹿にしてくれるじゃない」
 望月は銃を仕舞って、小さな長方形の紙を取り出した。
 それを窓に向かって投げようとした時、こんこん、と後ろの方で音がした。
 望月が振り返ると、そこには日井が立っていた。
「あら、日井さん」
「一時間ぶりですな」
「もう長い時間が経ってしまったかのように感じます。具体的には一日くらい」
 そう言って、望月は軽くため息をつく。
「それにしても困ったわね。これじゃ生野さん、見つけるどころじゃないわ」
「それについてはご心配には及びません」
「どういうことでしょうか?」
「先程部下から連絡をもらいました。生野綱は私達の気配を察知したのか、ここを出てしまったようです」
「……逃げたのかしらね」
「今の状況では分かりかねます。しかし、ここでもたついて何処かに逃げられてしまう可能性も考慮すると、あまりうかうかもしていられないのは事実です」
「そうね。でも」
 望月は辺りを見回す。
 いつの間にか湧いて出たのか、着物に羽織姿の人骨が刀を持って部屋のあちこちに陣取っていた。
「侵入者に容赦なしだなんて、もし善良な一般市民だったらどうするつもりなのかしら」
「このような所に来る一般人もおりますまい」
 両手を構えながら、日井は言った。
「それもそうね」
 人骨の一体が望月に向かって刀を突きだす。
「生野さん、覚えてなさいよ」