異界手帖 七章:鷹と蛇

「……疲れたねえ。もうそろそろ勘弁願いたい」
 息を切らしながら信太に向けて天野は言い放つ。天野の周りには倒れた四頭の狐が無造作に転がっていた。信太は相変わらず表情を変えないままであったが、その頬に一筋の汗が流れていた。信太の背後には弓納が槍を突き付けている。
「息の合った連携プレイ、お見事です」
「いい加減、きゃつの居場所を教えてくれたらどうだ。目的はあんたじゃあねえんだ」
「始めに言いました通り、私は生野の居場所は存じ上げておりません。何故、貴方達は彼に執着するのですか? 法にでも触れたのでしょうか? それとも倫理に悖る行為をした?」
「いいやどっちでもない。いや、器物破損云々はあるかもな。まあそれは置いたとしてもだ、看過できないものを所持していた」
「核ミサイル、とか?」
 それを聞いて天野は思わず笑ってしまった。
「あんた、冗談とか言うんだな」
「ええ、悪いですか?」
「いや、いいと思うぜ」
「話を戻しましょう。貴方達が看過できないものとは」
「核ミサイルに負け劣らずの物騒なもんだ。『真統記』、あんた知ってるんじゃないのか?」
 それを聞いて信太の尻尾がぴくと動いた。
「ああ、聞いた事はあります。生野が持っていたのですね。初耳です」
「なんだと、知らなかったってのか。まさか、知らずに奴に協力していたのか」
「ええ、無論です。先程も言いましたが、彼とは浅からぬ仲なのです。確かに最近少し様子に違和感を感じることがありましたが、そういうことだったのですね」
「ああ、そういうことだ。さて、白を切っているのか本当に奴の居場所を知らないのか分からんが、ここまでだ。あんたをふんじばって、人質にでも使わせてもらおうかね」
 天野が手の甲から文字のようなものを体外に出す。
「フミツカミ。あんたは知ってるみたいだが、一応説明しておくとこれは特殊な現象を起こすことが出来る神の字だ。さっき使っていた弓も斧もフミツカミ。そして今使おうとしているのは縛、つまり縛るための字だ。一回捕えれば神霊だって簡単には抜がさない自信があるぜ」
 文字が信太にまとわりつこうとした。しかし、その瞬間に弓納はハッとして瞬時に後方に退いた。
 弓納の退くのとほぼ同時に、信太の周りを黄金色の火が包み込む。信太にまとわりつこうとした文字はその火に触れて焼けただれていってしまった。
「では捕まらなければよろしいのでしょう?」
 信太の顔貌が次第に変容し始め、まるで白い狐面のような相貌となった。火が収まったかと思うと、信太はゆっくりと上空に舞い上がり始めた。
「これで簡単には捕まらない。さて、お互い時間の浪費はしたくないでしょう? ですので、貴方達にとどめを刺してあげましょう」
 そう言うと、信太は何かを唱え始めた。背後にいくつもの火の玉のような赤い物体が形成され、徐々にその大きさを増していく。
「天野さん、まずいです。ここを離れた方が」
 弓納は天野に駆け寄って言ったが、天野は首を振った。
「ここから離れても多分逃げられん。なあ弓納、俺に賭けて協力してくれないか?」
「……いい考えがあるのですね。分かりました」
 天野が弓納にごにょごにょと作戦を伝えた。それを聞いた弓納は特に戸惑うこともなく静かに頷く。
「シンプルですね」
「だろ」
「了解です。やります」
「決まりだ」
 そう言うと、天野は再び弓を生成し、弓を構えたかと思うと間髪入れずに信太めがけて矢を放つ。しかし、その矢を軽やかに信太は躱し、笑みを浮かべる。
「愚考でしたね。術の発動前も動けるのですよ」
「ありがとよ、思惑通りだ」
「え?」
 信太はその言葉の意味を考えようとした。しかし、その思考は強制的に中断されてしまった。
 信太は背後から爆風に襲われた。地面にたたき落されそうになるのをなんとか踏みとどまり、ようやく前を見た時には、全てが手遅れだった。
「うっ!?」
 信太に弓納の投擲した槍が命中する。一瞬、周囲は眩い光で包まれたが、やがてそれが収まると、ボロボロになった信太が槍と一緒に落ちてきた。
 信太は落ちてきた場所で弱々しく座ったまま、精一杯の力を振り絞って天野を見上げた。
「やってくれましたね。只の矢だと思って油断していました」
「ま、避けられると分かっていたからな。最初から火の玉狙いでやってた。もちろん、盛大に爆発するように矢に小細工もしてやったよ」
 くくと信太は笑い、それから少し溜息をついた。
「生野の居場所は知りませんが、おそらくもうここにはいませんよ」
「は? どういうこと」
「私が言えるのはここまでです。さようなら、機会があればまた会いましょう」
 そう言って、信太はその場で宙返りをしたかと思うと、たちまちに狐になってしまった。そして、軽くお辞儀をするとそのまま空に飛びあがり、何処かへ行ってしまった。
「な、おい!」
「天野さん、諦めましょう。それに、邪魔立てするつもりはもうないようですし」
「勝手気ままなやつだな。これだから物の怪なんてのは」
 空を恨めしそうに仰ぎながら、天野はそう呟いた。