鬼姫奇譚 四章:遠い日の思い出

「私の負けね、いいわ。あの誰も来ない退屈な書庫に大人しく収まりましょう」
 その場に座り込んでいた芥川は弱々しく言った。
「まあでも、これはきっと罰ね。アリス、日夏さんの迷惑なんか考えずに飛び出しちゃったもの。所詮私は人の所有物。自分の自由なんか求めてはいけない立場だったのよ」
「あの、芥川さ――」
 弓納が言おうとするのを制して、日夏はズカズカと芥川の前に立った。
「やっとちゃんと話が出来る」
 日夏は言った。
「ごめんなさい、日夏さん。私――」
「ごめん」
 日夏は頭を下げる。その様子に芥川はキョトンとした表情をする。
「え」
「貴方の気持ちも考えないで自分の都合のいいことばかり考えてた。今まで放置してたのにいなくなったら戻って来いだなんて虫のいい話よね。だから、もう戻って来いだなんて言わないわ」
 日夏は頭をあげてしっかりと芥川の目を見据える。
「今まで本当にありがとうね。貴方を手放すのは惜しいけれど、それが貴方の、ソフィーの意志なんだったら私はもう……」
 日夏は踵を返し、そのまま図書館の出口へと歩を進めた。
「さような――」
「待って!!」
「っ!?」
 芥川は思い切り日夏の腰に飛びつく。その勢いで二人は地面に転んでしまった。
「あっつう……ちょ、ちょっといきなり何するの!」
「また、一人にするつもり?」
「え?」
「私ね、本当のこと言うとこの高校に来る前から貴方のことを遠くから見てたの。でも、真っ向から話をすることなんか出来なくて。だって、貴方が書斎に来なくなったのは私のことを嫌いになったからだと思ったから。だから、どんな顔して会えばいいか分からなくて、もしかしたら嫌な顔されるかもしれないかと思うと、だからっ!」
 ぽん、と日夏は芥川の頭に手を置く。
「やれやれ、そういうことか。この困ったさんめ」
「アリ、ス……?」
「もう、勘違いしないでよね。私は貴方のこと嫌いになったなんていつ言ったのよ」
「うう、それは」
「全く、変わってないわね。変わったのは外見だけか」
 それを聞いて芥川は頬を紅潮させつつも、眉間に皺を寄せる。
「な、そ、そこまで言うことないじゃないの。この飽き性!」
「なっ! なんでそんなこと知ってるのよ。このストーカー野郎!」
「野郎じゃないしストーカーじゃない! あんた昔からそうだったじゃない!」
「ち、違うし! 見聞深めてたんですー。得意げに本の化身だか図書館の化身だか恥ずかしいこと豪語しておいて、そんなことも分からないの、この馬鹿娘!」
「ばかあ!? この私に馬鹿って言ったわね!? 身の程を知りなさい、この阿呆娘め。私の叡智の百億分の一にも及ばない癖に!」
「はん、叡智だって? そんな偉そうなもの持ってる癖に小娘の私と同レベルの争いするんだー」
「キーッ!」
 芥川が顔を紅潮させて日夏に掴みかかる。日夏も負けじと彼女に応戦した。
「ふん、酷い有様ね。お前なんかこうしてやるわ!!」
「いい度胸ね。その細い腕でどこまで出来るか見ものだわ!」
「なにぃ~!」
 二人は恥も外聞も忘れたと言わんばかりにお互いの髪を掴んではクシャクシャにする。その様子を見かねてか、弓納は二人に呼びかける。
「あの、二人共。喧嘩は駄目です」
 しかし、二人は目の前の案件をこなすことで精一杯らしく、弓納の呼びかけなど全く意を介さなかった。
 何事も耳に入れようとしないその様子に、弓納は自分の中で何かの線が切れるのを確かに感じた。
「ですからいい加減に」
 弓納は腹にありったけの力を込める。そして、これまでの鬱憤を晴らすかのように叫んだ。
「やめてくださああああああああああいっ!」
 建物を揺らそうかというほどの大きな声に、醜い取っ組み合いをしていた二人はそれをやめて咄嗟に耳を手で覆った。